入試
こんにちは。月曜担当、数学科の鈴木です。
今年もセンター試験が行われました。
今頃日本の受験生達はとりあえず第一段階が終わったという安堵感と、2次試験本番がついにやってくるという緊張感でいっぱいなのではないでしょうか。
定員が決まっている以上、必ず不合格の生徒が出てきます。
みんなが仲良く合格とはいかないものの、それが彼らがこれから上っていく大人への階段なのでしょう。
後悔のないように精一杯の努力をして欲しいものです。
今日、こんな記事を見つけました。
「知的障害者が県立の普通高校へ入学できやすくするよう特別の配慮を求める要望書を提出」
http://mytown.asahi.com/ehime/news.php?k_id=39000000901160002
要望書では入試の問題を知的障害者でも解けるように一部変更するなどの特別措置を求めているそうです。
要望したのは「愛媛・知的障害児の家族と理解者の連絡会」。
現在、知的障害者も県立の普通高校を受験できるものの、入試の筆記試験の得点への配慮はしていない。
ただし、「特別措置願」を提出し、別室での受験や中学校の教師が介助者として入試に同席することなどはできるそうです。
同会は「知的障害者に中学時代の仲間がいる地元の普通高校へ通わせてあげたい」として、特別措置を求めているということです。
その志は非常に良く分かります。
できることなら、そうさせてあげたい気持ちも大いにあります。
しかし、果たしてそれが可能かといわれると難しいと私は思います。
例えば、早稲渋高校はシンガポール唯一の日本人高校ですので、通っている生徒の学力差は非常に大きいものです。
それでも一定レベルの試験問題をパスしてきた生徒達なのですが、もし受験を目指す学校であると考えるとかなり厳しいものがあると思います。
それは、学校の先生方の負担も増大すると同時に生徒本人にもいろいろな負担や不満が増えていきます。
特に、低学力の生徒は自分の能力を最大限に生かしてやっと付いていける授業を受けています。
その生徒達が少しでも気を緩めようものなら、その後勉強する全てのことが分からなくなっていくでしょう。
分からないので、当然授業は面白くありません。
しかし、いずれは卒業を迎えどこかの大学に行きたいという希望は持っています。
でも、勉強はしたくない、だって勉強しても分からないから。。。
ということになってしまいます。
これは生徒本人にとっても不幸なことではないでしょうか。
学校は「学問が本業」であると考えるならば、その学校の希望するレベルに到達していない生徒は、無理に背伸びして入学してもつらい未来が待っているだけのような気がします。
もちろん、たゆまない努力を継続できる生徒は例外ですが。
私は、大学進学を目指す学校を基準にしているから、この記事について疑問を持ったのかもしれません。
よく調べると、要望書にはさすがにそれは無理では?と思われる文言が乗っているからかもしれません(興味のある方はお調べください)。
しかし、世の中、時代ごとに物事の見方というものは変わっていきます。
知的障害者の子供達も普通高校で楽しく過ごせる方法がきっとあるはずです。
そのような方法または風潮かもしれませんが、早くできるといいですね。
今年もセンター試験が行われました。
今頃日本の受験生達はとりあえず第一段階が終わったという安堵感と、2次試験本番がついにやってくるという緊張感でいっぱいなのではないでしょうか。
定員が決まっている以上、必ず不合格の生徒が出てきます。
みんなが仲良く合格とはいかないものの、それが彼らがこれから上っていく大人への階段なのでしょう。
後悔のないように精一杯の努力をして欲しいものです。
今日、こんな記事を見つけました。
「知的障害者が県立の普通高校へ入学できやすくするよう特別の配慮を求める要望書を提出」
http://mytown.asahi.com/ehime/news.php?k_id=39000000901160002
要望書では入試の問題を知的障害者でも解けるように一部変更するなどの特別措置を求めているそうです。
要望したのは「愛媛・知的障害児の家族と理解者の連絡会」。
現在、知的障害者も県立の普通高校を受験できるものの、入試の筆記試験の得点への配慮はしていない。
ただし、「特別措置願」を提出し、別室での受験や中学校の教師が介助者として入試に同席することなどはできるそうです。
同会は「知的障害者に中学時代の仲間がいる地元の普通高校へ通わせてあげたい」として、特別措置を求めているということです。
その志は非常に良く分かります。
できることなら、そうさせてあげたい気持ちも大いにあります。
しかし、果たしてそれが可能かといわれると難しいと私は思います。
例えば、早稲渋高校はシンガポール唯一の日本人高校ですので、通っている生徒の学力差は非常に大きいものです。
それでも一定レベルの試験問題をパスしてきた生徒達なのですが、もし受験を目指す学校であると考えるとかなり厳しいものがあると思います。
それは、学校の先生方の負担も増大すると同時に生徒本人にもいろいろな負担や不満が増えていきます。
特に、低学力の生徒は自分の能力を最大限に生かしてやっと付いていける授業を受けています。
その生徒達が少しでも気を緩めようものなら、その後勉強する全てのことが分からなくなっていくでしょう。
分からないので、当然授業は面白くありません。
しかし、いずれは卒業を迎えどこかの大学に行きたいという希望は持っています。
でも、勉強はしたくない、だって勉強しても分からないから。。。
ということになってしまいます。
これは生徒本人にとっても不幸なことではないでしょうか。
学校は「学問が本業」であると考えるならば、その学校の希望するレベルに到達していない生徒は、無理に背伸びして入学してもつらい未来が待っているだけのような気がします。
もちろん、たゆまない努力を継続できる生徒は例外ですが。
私は、大学進学を目指す学校を基準にしているから、この記事について疑問を持ったのかもしれません。
よく調べると、要望書にはさすがにそれは無理では?と思われる文言が乗っているからかもしれません(興味のある方はお調べください)。
しかし、世の中、時代ごとに物事の見方というものは変わっていきます。
知的障害者の子供達も普通高校で楽しく過ごせる方法がきっとあるはずです。
そのような方法または風潮かもしれませんが、早くできるといいですね。
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